『のぼうの城』ヒットまでの道のり~アスミック・エース豊島雅郎氏の講義録から

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のぼう

執筆:梅津

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「ヘルタースケルター」ハンデが逆に功を奏したからの続きです】
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「のぼうの城」:企画・宣伝・訴求層とも想定外の結果がヒットに繋がる

【豊島氏】
「のぼうの城」は、TBSさんと当社で製作幹事を行い、他26社が製作委員会メンバーという超大型のプロジェクトですが、公開までの道程は色々あった作品です。
東日本大震災があった時にはほぼ映画は完成していましたが、城を攻略するための水攻めシーンが震災の津波を想起させてしまう可能性があり、2011年内に公開するのはふさわしくないという判断を下し、1年2か月延期後の2012年11月2日に公開を迎えました。
正直延期によるハンデは心配でしたが、舞台が戦国時代で、腐らない、普遍的な内容だったこと、また原作の持つエンタテインメント性溢れる世界観を見事に映像化しきった犬堂・樋口両監督他スタッフ、野村萬斎さん他キャストの並々ならぬ努力と当社宣伝スタッフの叡智を出し切った宣伝クリエイティブも功を奏し、最終興収28.4億円の大ヒットとなりました。
製作のきっかけは、2003年に映画脚本の賞「城戸賞」に応募してきた原作者の和田竜さんとの出会いでした。「城戸賞」の受賞後、和田さんに映画化のオファーしたのは、C&Iエンタテインメント(オファー当時は「IMJエンタテインメント」)の久保田修プロデューサーです。権利取得後、久保田プロデューサーは、製作費の問題に直面しました。製作委員会のメンバーを、あまりに高額な製作費のために集めることができなかったのです。
どうしたかといいますと、久保田プロデューサーは2006年に小学館に対して脚本を小説として出版しないかというオファーをしました。その結果、小説「のぼうの城」が2007年に出版され、本屋大賞の2位になり、直木賞の候補作品になるなど、認知が大きく広がりました。その結果、TBSと当社の共同幹事、そしてC&Iエンタテインメント(当時はIMJエンタテインメント)と当社の共同制作プロダクションという形で、2009年にようやく映画化着手が決定したのです。
スタッフ、キャスト、製作委員会28社のみならず、ご当地埼玉県や行田市の皆さんも一丸となっての宣伝キャンペーンでした。特に野村萬斎さんには「自分が主演だし、汗水たらしてプロモーションをしなくてはいけないな」と言って頂き、実際に数多くのTV番組にご出演いただけたことも後押しとなり、これだけ大きな興行収入につながったのだと思います。
【梅津】
「のぼうの城」の公開までの最後の一週間のTV番組露出量は2012年11月までの一年間に公開された作品の中では最大の露出量でした。幹事会社のTBSを中心に大量の露出がありました。12週間では年間一位だった「アウトレイジ ビヨンド」を抜いて直前の一週間だけで見ると一位の露出量です。また、時代劇ですが、普段時代劇を観ないであろう若者や女性も意欲を持っており、ジャンルのファンを超えて、面白そうという感じる層が広がったのだと思います。
終わりに
【豊島氏】
ここまで弊社の配給作品をデータで観てきましたが、ああ、そうなんだ、と思うところが多いデータでした。ヒットする映画には要因があると言うのは当然のことなのですが、それが可視化されておりました。映画の配給・宣伝をやりたいかたも多いと思いますが、是非、マーケティングに関して興味をもっていただき、業界に人が増えることを期待しております。
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▼前コラム「僕等がいた 前篇・後篇」「ヘルタースケルター」の分析はこちら▼
“アスミック・エース”ヒットの作り方①/「僕等がいた 前篇・後篇」
“アスミック・エース”ヒットの作り方②/「ヘルタースケルター」
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▼新春映画ポテンシャル分析はこちら▼
(1)概要
(2)映画コンセプトに対する意欲度
(3)映画監督・俳優・女優の関心度と劇場動員力
(4)原作の認知度・観賞経験
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